もりさんの素顔
もりさんはシャイな人であるだけでなく、本当に謙虚な方でありました。
アニドウが「画集」を作りたいとお願いにいった際も「僕の画集なんか売れないよ」とものすごく本気で控えめにおっしゃいました。強引に許可を頂き、編集にかかってからも特にこうしてほしいというような注文を言うこともなく、ただただ構成見本をニコニコと見ておられたのです。
しかし、どうも東映動画の時代、働き盛りの時代にはとても怖い大先生だったようです。と、いっても怒鳴ることも怒る事もなく、ただ若いアニメーターの絵を直しているだけだったようですが、その修正の絵の次元の高さにみな震えたのではないかと想像しています。
タイムマシーンがあったら、ぼくは東映動画へ時を戻してもりさんの下で働いてみたいと切望するのですが、ヘタな絵をだまって直されたらどんなにいたたまれないでしょう。
そして、もりさんは愉快なひょうきん者でありました。
アニドウの歴史は東映の「漫画祭り」という社内のパーティに起源を持ちますが、そのハイライトは、バレリーナ姿で踊るもりさんの姿です。
晩年にご家族で横浜元町のおしゃれな商店街を散策されていた時、店の中へ入った奥様が外へ出てみると、角に座っていたもりさんが乞食のような真似をして帽子にお金をめぐんでもらう格好をしていたといいます。
日動、東映動画、日本アニメーションのどの時代でも、もりさんは女性に大人気でした。絵の魅力と同時に人間としての魅力がその人気を呼んだのでしょう。(なみき)