1985年のもり原画展
1985年8月30日からアニドウ関連としては第一回目の「もりやすじ原画展」を新宿のギャラリータカノで開催しました。前年の1月に開催した「三国志百態人形展」のために探し出したギャラリーで、新宿高野第二ビルという名のごとく、高野フルーツパーラーの関連会社が経営している画廊。川本喜八郎さんの住まいの代々木から歩いて来られる新宿三丁目にあるので、川本さんはお気に入りだったけれど、画廊側も川本さんに使ってもらえてうれしかったと見えて、マネージメントしていたアニドウの株も上がっておりました。(なにしろ人形展は番組終了後初だったので1万人も来た) それでその余勢をかって、もりさんの企画をもちかけて(費用はアニドウ負担で)実現したのが、この「もりやすじ原画展」でありました。
もりさんは企画時から、照れてとても遠慮なさっていたのだが、それを説き伏せて強引に実現させた形。この時から「もりやすじ画集」を作ろうと企画していたので、そのきっかけになればと思ったことも動機のひとつでした。
前年に作った「三国志百態」という(それまでの)アニドウ最大の豪華本出版も実は、もり画集のための予行演習として編集してみたもの。 予定では、この年か翌年に完成するつもりで僕は意気込んでいたのではないでしょうか。それから完成まで8年もかかるとは誰も思わなかったことです。 展覧会自体は盛況で、各出版社の方、ファンの方、アニメーターはもちろん、本当に多数の人が来て頂き、もりさんもひさしぶりに会う知人と歓談されていました。 すばらしい原画に比べて、貧弱な額(世界堂で購入)だったり、宣伝が足らなかったり、アニドウは失礼なことも多かったのですが、もりさんと毎日一緒にいられることがうれしくて、己の不徳を知る事はなかったものです。
(写真は、不徳というより不遜な僕ともりさん、そしてもりさんの大先輩熊川正雄さん、手塚治虫さん。)