みどりのとかげちゃんフェスティバル
2003年 06月 03日
Le Lezard Vert (St Laurent le Minier)
南仏で開催される世界一小さなアニメーションフェスティバルに行くぞ!
(承前)アニドウの今年の海外協力は7月24日にフランス・南仏モンペリエの近くSt-LaurentMinierで開催される1日だけのフェスティバル「LE LEZARD VERT」を目指します 。みどりのとかげちゃんとでも訳すのでしょうか?主催は、巨匠ジャン=フランソワ・ラギオニーのスタジオ、ラ・ファブリク。このイベントのディレクターは、アニドウからDVDを発売している「雪深い山国」の監督、ベルナール・パラッシオス氏です。彼と昨年の広島フェスティバル会場で再会し、今回の協力を約束しました。
その時の約束を忘れず、彼から招待状が届いたので、アヌシーフェスティバルをあっさりあきらめて、こちらへ参加することにしました。(招待といっても、旅費は全て自分持ちです。二日間の滞在費は主催者が負担してくれるというのですが、それだけでも予算が圧迫されそうな規模なので、なんだか申し訳ない感じです)
今年で三回目を迎えるこのフェスティバルはとても小さなもののようですが、テントを設営して少年・少女を対象に上映するなどいかにも彼らしい、可愛いらしいものなので、僕もぜひ参加したいと思っていました。上映の他にワークショップなども行われ、次代を支える人材が育ちそうです。
パラッシオス氏からの要請で日本の作品紹介のプログラムを組むことになり、若い作家を中心に作品提供をお願いしているところです。いつものように、お金にもならず、名誉にもあまりならないことですのであまり大きな態度では頼めないのですが、このまことに小さなフェスティバルという企画に興味を持ってくれた作者が多くて、楽しい番組になりそうです。記録用のビデオカメラなども持っていくつもりです。(なみきたかし)
2003/06/01
35mmプリントも用意して
ということで、アニメおたくには似合わない陽光きらめく南仏の旅に出かけてきました。そのリポートをお送りします。テキストは主に菅沢悦子特派員が執筆しました。
日本のプログラムを特集するので御協力を、という呼びかけに心よく応じてくれた作家の方々のおかげで約90分のビデオ作品と3本の35mmプリントで構成することができました。その作品は、たむらしげるさんの「くじらの跳躍」喜田夏記さんの「MTVステーションID」と「Orange Pekoo」のクリップ、保田克史さんの「Boda’s Works」、石田卓也さんの「モギモギクレイアニメーション」坂本サクさんの「フィッシャーマン」などどれも楽しい傑作ばかりです。
2003/07/15
そろった傑作をNTSCからPAL変換
急な依頼にも関わらず、作家の方々から提供されたビデオとフィルムが揃って一安心。と思ったら、出発数日前になってNTSC(北米と日本の放送方式)ではだめだと連絡がありました。大きなフェスティバルなら、世界各国の作品がそのまま見られるのですけどね、さすが小さなフェスティバルです。いや、感心している場合ではなく、急きょおなじみの現像所ヨコシネに電話して変換作業をお願いしました。費用は…..ええい、ポケットマネーだっ!14日に旅行の準備を投げ捨てて渋谷に出かけ、ヨコシネに材料を届け、翌日15日に受取りにいきました。そして16日に出発ですから、ほんとに綱渡りのようなもので、いささか焦りました。郵送費もケチって持参することにしたのに、なぜか予想外の出費が続きます。この間にもビデオの広角レンズがなくなった、というので「買ってしまえ」と大盤振る舞い。次いで、ライトも見当たりません、というので「買ってくるよ」とカメラ屋へいけば、DVテープからスチルの白黒・リバーサル・ネガフィルムを山のように購入して、すっかり貧乏になってしまいました。パリまでの往復飛行機代が102500円だったので安いと喜んでいたのですけど、それはヌカ喜びでありました。レンタカー、ガソリン代、宿泊費、食費を考えたら大変なので頭の回路を遮断して、カバンにビデオを詰めてパリへ飛び出したのです。
2003/07/16
ささやかだけれど暖かい歓迎
南仏の中都市モンペリエから50キロという案内だけで、やってきた私たち。サン=ローラン・ラ・ミニエという名前と地図帳だけを便りに、エクス=アン・プロヴァンス~アプト~ユゼスなどを横断してなんとか21日の夕方に目的地に達しました。なんとも素朴~な目的地の村にたどり着き、広場にいたご老人にスタジオの場所を尋ねると(なにせ地図もなく、「その辺の人に聞けばわかるから」と事前に言われていた)「オー、ラ・ファブリーク!」と親切に建物を指差して教えてくれたのでした。
青い窓が目印のスタジオにつくと主催者のベルナールさんが車に気づいて出迎えてくださいました。うれしそうにしていたのは再会の感激ばかりではなく、フランスについたはずなのに何の連絡もない日本人一行の持っていたビデオ・フィルムを心配していたからでしょう。
その後事務局の元気なおばさんクリスティン、助手のメラニーさんも一緒に中庭で紙コップのジュースで乾杯。(ぬるかったけど、まあいいや)手作り感ただようフェスティバルの準備風景です。
2003/07/21
スタジオ見学
去年、ブラジルで同席したフランスの巨匠ジャン=フランソワ・ラギオニーが主宰する「ラ・ファブリク」ですが、本人はパリにいて指揮しているということで、再会はできませんでした。この現場はベルナールさんが中心の手ごろな大きさに見えました。作画から編集まで全ての行程があり、そのひとつひとつを彼が案内してくれたのですが、イベント間近でそんな時間はあるのか?とこちらが心配になりました。左端は表札と全景。古そうな建物ですが、中はとてもきれいです。中の写真は、ポール・グリモーが使っていたという撮影台(ラギオニー氏はグリモーのスタッフだったのです)。譲ってくれと思わず声を出すなみき氏でした。右端は、フェスティバル事務局に張られていた、ベルナールさんの息子が描いた「とかげちゃんポスターの写し」です。真似しやすいというのは大事ですね。
2003/07/21
テントが村にやってきた
前日まで犬のフンだらけの駐車場だった広場に、テントを積んだトラックがやってきました。まずは仕事に取り掛かる前にたっぷり1時間以上かけて昼食。さすがフランス人です。誰が設営するの?と質問したら、当然のごとく「そりゃ、僕たちだよ」とスタジオの面々。フランスのアニメーターは力仕事もこなせなければいけません。中に筋肉隆々のマックスと、若いローランがいましたが、彼らはどう考えても日頃肉体労働に従事しているようなので、専門職でしょう。親方と一番弟子といったところか。彼らの指示で杭打ち、支柱建て、幕張り、と慎重に進められていきます。ベルナールさんも自ら杭打ちに参加。主催者なのに、すばらしいフットワークの軽さ。そのへんで放し飼いになっているみんなの飼い犬も走り回り、猛暑のなかの作業が日暮れまで続きました。下準備を終えて夕方になりやっとテントが姿を現しました。
2003/07/22
昼食はかなりのボリューム
日中の作業を撮影するため、スタッフの人と昼食で顔を合わせるのが滞在中のパターン。といってもレストランは村に一つだけ!設営している広場に面したカフェ、居酒屋兼用のお店です。たった一件のこのお店でしたが、どの料理もおいしくて本当によかったです。大人数なので決まったメニューをみんなで取り分けて食べるのですが、前菜・メイン・デザートとしっかり出てきて、おなかいっぱい。この日の前菜は生ハムとメロンのサラダ、メインは牛ステーキにつけあわせのフレンチフライがどっさり。他の日には羊の煮込みやラムチョップなんていうのもありました。下の写真中央はビーフカツです)もちろん赤ワインも昼間からぐびぐび。昼の定食は一人10ユーロで、もれなく1/4のワインがつきます。グラスワインなんていうものはなくて、4人単位でボトル一本がテーブルにどかんどかんと置かれて行き、飲まないわけにはいかない雰囲気になります。お水はきれいな川の流れる村だけあって、広場の水のみ場からどんどん汲んで飲めます。デザートのイル フロッタン(浮島)はカスタードクリームにメレンゲが浮かんでいて、めちゃめちゃ甘~い!けど、おいしかったです。主催者のベルナールさんは、食事中も打ち合わせしつつの忙しさ。テント設営の責任者マックス親方とは昔話で盛り上がったようでした(右端)。
2003/07/23
記念撮影の顔のハメハメハ看板
着いたその日にスタジオに立てかけてあった出来たばかりの撮影用看板(よく観光地にある、顔ハメ看板というやつですね)。巨大とかげの顔がくりぬいてありますが、なんともユーモラスでかわいい。かわるがわる写真撮りまくりの日本人一行でしたが、なんとこれは5ユーロ(約650円)を徴収して有料でデジカメ撮影、プリントアウトする商売道具だったのです。(紙代高いのかな?)有料というので、あまり最初は利用者はいないようで、ひまそうなジャン=ポールさんに同情して、菅沢となみきが注文してました。(スタジオにあった時にさんざん撮影しているんですけどね)結果は、なんだろうねえ、このおじさんは、という出来上がり。これではお客の呼び水にはなりません。その点、フランスの子どもはさすがに絵になりました。夕方にはなかなかにぎわっていました。左は撮影係のジャン=ポールさん(彼はスタジオのアニメーション・カメラマンです)と設置を手伝う北澤君。
ジャン=ポール「下げて下げて!」北澤「ハイ!上げてます!」なみき「……..(だめだコリャ)」
2003/07/24
宣伝も手作りです
隣町のホテルから村に向かう途中、”LE RIZARD VERT”と書かれた緑の布がぽつぽつと街路樹に巻かれているだけの地味ーな宣伝(しかも主催者のベルナールさんが自ら張って歩いているらしい)を危惧した私たちは、ここまで乗ってきたばかりの我等のレンタカーにポスターを貼りまくって急きょ宣伝車に仕立てたのでした。(あとでテープの跡を落とすのが大変でしたが)
「え~、ご当地初お目見えのジャポネがやってまいりました~」と、声高く(車の中だけで)叫びつつ宣伝カーが練り歩きました。まるで、旅芸人一座の巡業です。ああ、恥しらず!
現地アニメーターとベルナールさんも自ら村の入り口に梯子を担いでいって横断幕の再調整をしていました。蛍光テープつきの作業服で交通誘導まで自分たちでやっていました。その後、村に貼られたポスターも発見。このポスターは去年と同じデザインなのですが、ひとつだけ描き加えられたものが。そう、飛行機からパラシュートで降りてくる会長なみき、その人なのであります!(ポスター拡大しないとわかりません。下の写真では無理です)
この宣伝効果が効いたのか、こんな(?)ところまで来るジャポネが珍しかったのか当日は(我々の)予想以上の人出でした。村の人口より多いと思えるので、たぶん近郷の村々から集まって来たのでしょう。
2003/07/24
学校の講堂でビデオ上映
スタジオの隣の学校では、日中ビデオ上映が行われていました。マリー=クリスティーヌ女史の緻密なプログラム構成のもと、ヨーロッパ各地の学生たち(を含むと思われる)の作品や日本から持ってきた「モギモギクレイアニメーション」「クジラの跳躍」「オレンジペコー(ミュージック・ビデオ)」「ネコのさくせん」「Boda’sWorks」「カジラレ島のふたつの灯台」などもここで上映されました。自費をはたいて同行した「カジラレ~」の作者の北澤康幸君も優秀な通訳のアナさんに疑わしい仏英語?を訳してもらい上映前に挨拶。子どもたちに温かく迎えられました。
2003/07/24
テントの中のワークショップ
朝から昼中のテント内部では、いくつかのワークショップを行っていました。一番人気はベルナール先生が教える撮影教室。見学の子どもたちに書かせた絵に番号をふって、一つずつ撮影していきます。それをパソコンで再生すると自分の絵がアニメーションに。大盛況でした。巨大ゾートロープをのぞいたり、パラパラマンガを紙やフィルムに描きこんだりという定番モノも。3Dアニメーションコーナーではスタッフがキャラクターをマウスで動かしながら、原理や動かし方を説明していました。小さなモニターでスタジオ作品を随時ビデオ上映していて、名作「雪深い山国」の美しい音楽もテント内に流れていました。
2003/07/24
石で作るとかげ
外でもワークショップ。小さな子供向けに、簡単に遊べる縁日的なコーナーがあります。かごにたくさん入った石ころの中から自分の好きなものを選び出して、木の板の上に組みあわせてとかげの形に。みどり色の絵の具で塗れば「みどりのとかげ」のできあがり。単純だけど、みんなやけに熱中しているのが印象的でした。ふだんの娯楽が少ないのかな。何枚かの画用紙にちょっとずつ連続した絵を描いて、展示してあるのもありました。右は受付のお姉様方にせまる、ラテン楽団。
2003/07/24
取材合戦
なんでしょう、TVクルーに対抗しようというN会長のこのポーズ。意地でもどかず、ベーカムのカメラマンに邪魔にされていました。(邪魔をしていました?)彼等の取材したニュースは当日夕方の地方ニュースで放映されたようです。キャスターのお姉さんと2人組の取材で、お姉さんはマイク持ちも兼用でした。子供と犬という被写体の宝庫に日本から来たカメラマンふたり、終始興奮気味でした。いやワークショップの模様の撮影も忘れていませんでしたけれどね。
2003/07/24
35mm上映会場へ模様替え
テントでは、6時にワークショップ終了。教材や機材を片付けて今度はベンチを並べたり、映写機をテントの外に設置したり、上映会場の準備が始まります。スクリーンは巨大なゴムボート状のマットになっていて、空気を入れて膨らませたあと、立てかけます。ベンチの他に外にまで椅子をたくさん並べて完成。映写は専門の人がやっていました。映写技師というのは、どこの国も同じ雰囲気を持っていますね。日本ではアニドウでも頼むことのある「鈴木映画」が有名ですが、フランス版鈴木映画という雰囲気でした。自らフィルムの山を担いできたベルナールさんは上映順を入念にチェックしていました。ポータブルでも35mm映写機はなかなかの迫力です。
2003/07/24
上映と表彰式、それにラテンコンサート
さすがの陽光も暮れてきた9時半頃、ようやくフィルム上映の始まり。小さな子どももいったん帰って、また来ています。セーターを着こんでいる子も。入場する人たちをラテンバンドの演奏でお出迎え。小さいけれどこういうところがちゃんとしたフェスティバルです。会場満員。フランスなのになぜラテン音楽か、という疑問は置いておいて、みんなで合唱したりにぎやかです。休憩をはさんでいよいよ日本のフィルム上映。なみき壇上で挨拶。なんとここで、村長さんが登場!チノパンのおっさんだったので最初誰かわかりませんでした。歓迎の言葉のあと、村長さんからのプレゼントはこれもびっくり、名誉村民(!)のメダルなのでした。フランス人も知らない村でひとり有名になった日本人、なみきたかし。こうなるとメダルの価値がよくわかりません。
上映した「頭山」「ストレイシープ」「この星の上に」はいずれも好評で大きな拍手が湧きました。上映後にも熱い感想がよせられました。(といってもフランス語で口々に言われたのでよくわからないんですけど)他にもたくさん上映をして、(おまけフィルムでベティブープが!アニドウ上映会とやり方が変わりません)ようやく終わったのは夜中の12時半。そしてそれから授賞式!すごいスケジュールです。今までのお子様向けなとかげちゃんとはまるでそぐわない大柄な美女?がプレゼンターで登場。あまりの化粧の濃さに、これは女装の男性スタッフか?!と目をみはりましたがやっぱり女の人でした。お色気たっぷりにとかげトロフィーを手渡す美女。グランプリ、とかなくてほとんど全員もらっているようでした。参加賞か?北澤君も美女とキスを交わしてトロフィーゲット。なみきも日本作品すべてに、ということでとかげちゃんの形をした木製のトロフィーを頂戴しました。うれしそうなふたり。朝の10時から始まったフェスティバルは、こうして1時半にようやくすべて終了したのでした。
2003/07/24
インタビュー
フェスティバル翌日、疲れ果てた私たち日本人を尻目に、テント部隊は撤収作業。ベルナールさんも元気に片付け作業の合間を縫って、私たちのインタビュー収録に応じてくださいました。左の写真は、昨日まで参加作品の監督としてあがめられていた?北澤康幸君が今日はただの撮影助手となって、構図決めのためにスタンドインとして座らされている図。なにしろ日差しが強いのでコントラストがつきすぎてなかなか良い場所がありません。そんなこんなで収録場所を決めるのにさんざん時間を費やした後、スタジオ前の橋で照りつける太陽の中、インタビューが行われました。さらに、「このシャツは映えないんじゃないかな?」とベルナールさんはすぐ近くの自宅まで帰ってわざわざ白いシャツに着替えてくる、という気配りを見せてくださいました。やっと回り出したカメラに向かって彼は自分のこれまでの作品についてや、影響を与えられた作家・作品についてなど、たくさん話してくれました。フランスでも短編を作るのは資金的に難しいというのが印象的でした。この興味深いインタビュー内容(フランス語で答えてもらったので詳しくは翻訳するまでわかりませんが)は、近日公開予定ですけれど、何のプロジェクトかはまだ秘密です。ご期待ください。
また、これまでのフェスティバルの全記録もビデオ撮影してきました。全14時間です!これは、どうするんでしょうねえ?かいちょーさん?
2003/07/25
テント畳んで陽が暮れて
(まとめ)この一日だけのフェスティバルに私たちは7月21日~25日の間滞在して、準備から撤収まで見届けることができました。日本で思っていたよりもこの村は小さい村でしたが、フェスティバル自体は思っていたとおりの可愛い素敵なものでした。まさにアリと巨人を比べるようですが、一ヶ月前に開催されたアヌシーを捨ててこちらに参加して良かったと思うのです。同じフェスティバルとは呼ぶものの、アヌシーが国際映像祭ならこちらは村の夏祭りでしょうか。ただの旅行者は楽しむだけでいいのですが、古い石作りの建物の中をきれいに改装したスタジオにも、きっと経営の苦労があるでしょうし、なごやかな村の暮らしにもあきあきした若者がいるでしょう。数日だけ訪れた旅行者に見えるだけの「すてきな村の暮らし」ではないはずです。そう深読みしてみても、なお心に残る収穫がありました。といっても自分でやる時にどうするか、と比べただけで何も人生観にかかわることでもないんですけれど。
まず、余裕のある運営ぶりと準備の様子です。これはまあ見習い可能でしょうか。
次に、黙々と準備を進める自主性あふれるスタッフ。これはアニドウにもぎょーさんおられます。
なにより、興奮したり神経を高ぶらせない落ち着いたディレクターの姿勢がすばらしいです。これはアニドウでは無理ですね。(幕の吊り下げからゴミ捨てまでなんでもやる代表者というのだけは同じです。)
そして何より、暖かく素直な観客が良かったと思います。おたくっぽい奴とか、研究者、何でもDVDで欲しがるコレクターなんか一人もいません。これはアニドウの理想ではないでしょうか。
これまではフェスティバルを開催するならアヌシーに迫る規模で、と燃えていたものですが、今回の旅行を機に「量より質」へ転換を図ることにしましょう。映画祭ばかりでなく、出版やミュージアム構想など活動全般に言えることです。そんな確信を与えてくれたことで、この小さなフェスティバルに参加して本当に良かったと思いました。
それにしても、ベルナール・パラッシオス氏がアヌシー生まれというのはなんだか皮肉なことに思えてなりません。可愛い短編を作るだけでなく、こんなイベントも開催している彼は本当に立派な人だと感心するばかりです。今後も彼の創作やフェスティバルに協力していきたいものです。みなさんも一度この小さなフェスティバルに参加してはいかがでしょうか。(なみき)
2003/07/25