川本喜八郎
1925年、東京千駄ヶ谷に生まれる。
1944年、旧制横浜高等工業学校(現横浜国大)建築科卒業。
1946年に東宝撮影所に入社、美術助手として「今ひとたびの」「女優」他を担当。
1950年に独立、フリーの人形美術家としてトッパンの人形絵本シリーズ、教育映画人形アニメーション「ちびくろサンボ」「こぶとり」他、CMなどを制作。
1958年、テレビCM制作会社〈シバプロダクション〉設立、常務取締役として就任。「アサヒビール」「ミツワ石鹸」などの人形アニメーションCMを制作。
1963年、同社を退社後、旧チェコスロバキア・プラハの人形アニメーション・スタジオへ留学。イルジー・トルンカ氏に1年間師事する。
帰国後、1965年からは主にNHKの青少年番組の人形を制作。「やんやんムウくん」「おかあさんといっしょ」「クイズ面白ゼミナール」など多数を手がけた。
1968年、自主人形アニメーション「花折り」制作。同作でママイア国際アニメーション・フェスティバル銀のペリカン賞受賞。
1972年、自主人形アニメーション「鬼」制作。毎日映画コンクール大藤賞、メルボルン映画祭特別賞、他受賞。
パペットショウ「日々是好日」発表。
1973年、自主カットアウト・アニメーション「旅」制作。
パペットショウ「おばけの世界」発表。
1974年、自主カットアウト・アニメーション「詩人の生涯」制作。毎日映画コンクール大藤賞受賞。
パペットショウ「女の映画館」発表。
1976年、自主人形アニメーション「道成寺」制作。毎日映画コンクール大藤賞、仏アヌシー国際アニメーション・フェスティバルにてエミール・レイノー賞と観客賞、他多数受賞。
パペットショウ「世間胸算用近頃腹裏表」せけんむなざんようちかごろほんねとたてまえ発表。
1979年、自主人形アニメーション「火宅」制作。バルナ国際アニメーション・フェスティバルにてグランプリ、オタワ国際アニメーション映画祭審査員特別賞、他多数受賞。
長編人形アニメーション「蓮如とその母」監督、人形制作、アニメーションを担当。
1982~84年、NHK人形劇「三国志」人形美術を担当。
1984年、人形個展〈川本喜八郎・三国志百態〉を開催。新宿ギャラリー高野にて。(協力:アニドウ)
1985年、人形個展〈川本喜八郎『三国志』そして『平家物語』〉を開催。新宿ギャラリー高野にて。
1986年、ニューヨーク近代美術館で「川本喜八郎のアニメーション」特集上映。
1988年、中国で人形アニメーション「不射之射」を監督、制作指導。紫綬褒賞を受賞。
オムニバス「セルフポートレート」制作。
1989年、再びチェコのプラハに渡り、トルンカ・スタジオで「いばら姫またはねむり姫」を制作。毎日映画コンクール大藤賞受賞。
1990年、特集上映〈草月アニメーション・シアター90〉を草月ホールで開催。
1991年、故岡本忠成氏の未完の遺作「注文の多い料理店」を引き継ぎ、監督。
1992年、個展〈川本喜八郎・新平家人形展〉を開催。新宿ギャラリー高野にて。
1993~95年、NHK人形歴史スペクタクル「新平家物語」人形美術担当。
1995年、勲四等旭日小綬章受章。
1996年より日本アニメーション協会 会長に就任。
1997年、新宿三越美術館にて展覧会「人形の魔術師 川本喜八郎展」開催。
1999年、日本橋三越劇場・三越名人会でパペットアニメーショウを復活講演。
2003年、松尾芭蕉の連句をテーマにしたアニメーション作品「冬の日」を制作。35名の国内外の作家たちに声をかけ、空前のコラボレーションを実現させる。毎日映画コンクール大藤信郎賞、文化庁メディア芸術祭<アニメーション部門>大賞他受賞。
2006年、自主人形アニメーション「死者の書」制作。ザグレブ国際アニメーション審査員特別栄誉賞、他多数受賞。
2010年8月23日、病没。享年85。