なみきたかし 略歴
アニメーションの研究・歴史家。同時にアニドウ会長、オープロダクション代表取締役、日本アニメーション文化財団代表理事。アニメーション・プロデューサー、フィルムコレクター、路面電車専門写真家、グラフィック・デザイナー、出版編集者、映像演出家。日本アニメーション学会々員、日本アニメーション協会々員(初代事務局長)、日本アニメーター・演出協会(JAniCA)発起人、
1952年埼玉県浦和市(現:さいたま市)生まれ。小学校時代からほぼ不登校となり、落第生の落ちこぼれとして育つ。 高校生の時にプロアニメーターの集まりであるアニドウ(アニ同)に参加し、アニメーションの世界へ進路を定める。アニドウ顧問であったフィルム・コレクター杉本五郎の提供による上映活動を毎月のように開催する。 アニドウの活動の傍ら、東映動画スタジオで長編アニメーション『ながぐつ三銃士』の撮影助手を経験、後タツノコプロダクション、トップクラフトなどを撮影助手で転々とした後、作画会社の老舗オープロダクションにアニメーターとして入社、小松原一男、村田耕一に師事し「アルプスの少女ハイジ」「キューティハニー」「母をたずねて三千里」「荒野の少年イサム」「ゲッターロボ」「銀河鉄道999」等の動画担当として働く。 その傍ら、諸先輩の推挙によりアニドウ代表となる。それまで以上に上映・出版活動を進め、日本で最初のアニメーション専門誌「ファントーシュ」創刊、続いてアニドウの会誌「FILM1/24」、同別冊「未来少年コナン」、「ふくやマジックブック」などを刊行する。小学生の頃の骨折が原因で右腕の障害が悪化、尺骨神経麻痺となったため、アニメーターを断念し 「セロ弾きのゴーシュ」の作画&広報を最後にオープロダクションを一旦退社。 1984年、アニドウの内部法人として出版社、有限会社アニドウ・フィルム (設立時は有限会社ぱるぷ名)を設立し、「ふくやまけいこ/何がジェーンに起こったか?」(1984)、吾妻ひでお「ぱるぷちゃんの大冒険」(1985年)、「川本喜八郎:三国志百態」(1984)「もりやすじ画集」(1993)、「小松原一男アニメーション画集」(2002)、「椋尾篁アニメーション美術画集」(2004)、「もぐらノート」(2006)、「小田部羊一アニメーション画集」(2008)、「もぐらのスタジオ」(2013)などを編集・出版し、アニメーション専門出版社として定評を得る。なかでも「世界アニメーション映画史」(1986)は初めての世界のアニメーションの歴史を網羅した研究者必携の書として評価され全国の図書館の基本図書となっている。
2017年には、盟友の遺稿集「片山雅博世界名迷作大画集〜アニメーテッド・ピープル」と自らの「写真集・ Wooden Clogs on Elétricos〜下駄と路面電車」を刊行した。共に大赤字の無謀な出版と評されている。
2019年には、話題のNHK朝のテレビ小説「なつぞら」のモデルとされる奥山玲子さんの業績を讃え、「奥山玲子銅版画集」と「奥山玲子アニメーション画集」の2冊を刊行。さらには「新版 小田部羊一アニメーション画集」もすばやく出版し、これまでの活動とは一線を画して周囲を刮目させた。
世界のアニメーション映画祭シーンでの活躍も注目されている。1987年の広島国際アニメーションフェスティバルでは国際選考委員。1998年アニメーション短編「この星の上に」(監督:片渕須直/アニメーション: 南家こうじ)をプロデュース。1999年アヌシー国際アニメーション・フェスティバルでは国際審査員をつとめる。
2018年にはポルトガルの「MONSTRA」でも国際審査員を勤めた。
2004年、東京都現代美術館における企画展「日本漫画映画の全貌」を構成・プロデュース。同年、同企画にアニメーション制作「にほんまんがえいがはったつし」を制作(辻繁人と共同監督)。 さらに、DVD(「くもとちゅうりっぷ〜政岡憲三作品集」「タクン・フィルムズ」他)、CD-ROMなどの制作、ビデオ映像の演出も手がけるなど活動の幅を広げる。2006年にはスタジオジブリより再発売されたDVD「セロ弾きのゴーシュ」の監修・特典制作なども手がけた。同年末には図書館・学校向けの教材として「DVD世界アニメーション映画史第1集〜第6集」(30巻)を制作した。輸入・配給も手がけ旧東欧諸国から「チェコの古代伝説」、「ハンガリアン・フォークティルズ」など多数を輸入し公開、ソフト化した。
2006年12月からは惜しくも急逝したアニメーター村田耕一の跡を継いでテレビアニメーションの作画会社オープロダクションの代表取締役も兼任し、「ちびまる子ちゃん」などのシリーズを担っている。「セロ弾きのゴーシュ」の配給も続け、2015年には4kスキャンを行い一新したBlu-ray化を実現した。DCPも用意し次世代の上映にも備えている。
個人の立場でフィルムや資料のコレクションを続けていたが、2012年よりは一般財団法人日本アニメーション文化財団を設立し、代表理事に就任。アニメーション・ミュージアムの設立運動を加速している。 これまで、主にアニメーターなど専門家を対象とした上映会や講演会、コンサートなどの主催イベントは500回以上に及ぶ。 個人としてテレビ出演、資料協力なども多いが、余技として路面電車の写真展を数回開催したのは旦那芸とあきれられているが意外に好評。近年はジャズ・コンサートなど音楽関係のイベントも多く、また、「葬儀/お別れの会」などの責任者を多くつとめ、これまでにもりやすじ、小松原一男、村田耕一、飯田馬之介、金田伊功、川本喜八郎、石黒昇、片山雅博、大塚康生らの追悼の会を主宰した。高畑勲については、スタジオジブリが行った「お別れの会」とは別に「偲ぶ会」をアニドウ独自で(業界をあげて)開催している。2014年にはTV「開運!なんでも鑑定団」にアニメーション資料鑑定士として出演、政岡憲三さんの原画について驚愕の値付け800万を鑑定。2020年にはこれまでの活動を認められ、第23回文化庁メディア芸術祭功労賞を受賞した。
今後の目標は書籍「日本のアニメーションの父・政岡憲三」の刊行と、映像では長編漫画映画の制作である。
著書:
「アニメーテッド・ピープル in Photo」(2000年/アニドウ・フィルム刊)
「下駄と路面電車 Wooden Clogs on Elétricos」(2017年/アニドウ・フィルム刊)。