もりやすじ画集 編者 あとがき なみきたかし
もりさんは アニメーションの神様ですが ぼく個人にとっての神様でもありました
小学生の頃 関東一の登校拒否児童といわれた ぼくですが アニメーションに夢中になることで
なんとかこの歳まで あれこれやってこられたと思うのです
そのアニメ-ションという芸術の中心に いつも もりさんの姿がありました
成長するとともに 見ていた東映の長編は たぶん骨までしみこんでいるに違いありません
高校生の時 新宿のコボタンという喫茶店で 東映のスタッフが中心の研究会があると聞き アニドウに入りました
会長の相磯嘉雄さんに 誘われて 「ながぐつ三銃士」という作品の撮影のアルバイトを 東映動画スタジオですることになり
マルチプレーン撮影台や もりさんのキャラクターの描いてあるセルに 興奮したものです
同じ建物にいるはずの もりさんを訪ねるような 恐れおおいことはしなかったのが悔やまれます
その後 竜の子プロやトップクラフトという会社のあいだを 撮影助手としてうろついた後で オープロダクションに拾ってもらいました
やっていたのは「ロッキーチャック」です
青いコピー用紙を本のように綴じた もりさんの描いた動物の動きの見本帳を みんな持っていました
ある日 新番組の試写があるというので 高円寺のズイヨー映像という トタン屋根のスタジオへ行き
「ハイジ」という数分のフィルムを見ました
その時のキャラクターはもりさんのつくったものでした
オープロで机を並べた友永和秀は もりさんの下で働きたいと 九州から出てきたというので
それだけで才能のある奴だと 確信したこともありました
どうも それは間違っていなかったようです
十年間もへたな動画を描く傍ら アニドウの活動を続け 政岡憲三先生と知遇を得ることが出来ました
もりさんは 机の下でよく寝ていたり 奇抜な格好をする変人だった と聞いて とても 安心したものでした
東映動画が機材を払い下げるというので 飛んでいって動画机をひとつ五千円で何台も買いました
その時 友人の北島信幸とリヤカーでひっしに運んだ机は いまも使っています
もりさん設計の大きな動画机です
日本初のアニメ専門というふれこみの雑誌を発行して もりさんの特集を考えたり 「わんぱく」の特集を
大塚康生さんの解説で出版したりしているうちに どうしても もりさんの本が作りたくなって お願いにあがりました
新宿で原画展をやったり 資料を集めたりしているうちに それから八年以上もたってしまいました
最初は百頁ほどの予定だったこの本も その間に二倍以上になり 全てをひとりで抱え込んでしまって
キチンと進ませないため こんなに遅れてしまったのです
去年の初め もりさんはレイアウトをご覧になって 喜んでくれているようでしたが
ついに 完成したものを お見せする機会を逸してしまいました
こんなグズな話しは 聞いたことがありません
ようやく もりさんご本人と親しくお話が出来るようになったのに……
この本をつくるために協力してくれた方々と 読者のみなさんに 心から感謝をしています
しかし そうした謙虚な反面 この本は ほとんどぼくの努力の結果だ と強弁したい誘惑にかられています
ぼくの尊敬のホンの一部を 形にしたものがこの本だと もりさんに受けとめてもらいたいからです
こんな勝手な発言を許してくれるのも もりさんぐらいでありましょう
思えば 一篇の漫画映画のような あっという間の短い お付き合いでありました
それはまた 良く出来た作品のように いつまでも心に輝くものであることも 同じようです