「チェコの古代伝説」配給顛末記 その1
2011. 05. 01
トルンカ作品との出会い
無知な若造がなぜ購入するまでにトルンカを好きになったのかその経緯を書こうと思います。
僕がチェコの人形アニメーション、なかでもトルンカの作品に魅かれるようになったのは、1971年に静岡で開かれたアニメーション全国総会という集まりで、「バヤヤ」(当時はバヤヤ王子)を見たのがきっかけです。
古い話なので、何でも注が必要になり書きづらいことばかりですが、アニメーション全国総会とは、当時東海道各地で発足したサークルが連携しようと、持ち回りで年一回の合宿をする催しです。この時の静岡は前年の大阪に次いで第二回の開催で、主催者は「しぁにむ」の伴野孝司、望月信夫他の方々。つまりアニドウ刊の「世界アニメーション映画史」の著者です。
何を上映するか良く知らないまま、参加してたくさんの短編に混じって、いきなり長編のトルンカ作品に遭遇しました。当時の僕は19才ですから、トルンカの(人形アニメの)心髄を理解するのはちょっと無理なのが、40年経って今頃わかります。できれば、自分に「解らなくても気にするな」と言ってあげたい気持ちです。
ボーリング場を上映場所にした会場には、川本喜八郎さんも来ている、という他の人達の驚きの声が聞こえていました。僕は「どうも偉い人らしい」というぐらいの感想で、誰なのかなんで来ているのかちょっと理解できませんでした。なにしろ、それまで聞いたことのない名前だったので…..。たぶん、ここで初めての出会いということのようですが、お話したかどうかの記憶もありません。今考えると、川本さんですらなかなかチェコの作品を見る事の出来ないその時代ですので「バヤヤ」が上映される機会を逃すはずはないですけど、こちらはその魅力が解っていないのですから、なんで来たんだろうと不思議に思うばかりでした。
この時のプリントはたぶん大阪映教という大阪の社会教育の16mmフィルム販売業者が買い付けものです。この時は原語のオリジナルプリントだったはずですが、業者さんは日本語版化したものを売るのが商売なので、どっちだったか定かではありません。
その最初のトルンカ作品の印象は、「なんか眠たいような、変な作品だな」というものです。前半は民話みたいだけどまどろっこしいし、後半の戦いは吊り糸は見えているし、ちゃちいし、バヤヤ王子と言っているけど(日本題名だけですが)王子じゃなくて農民だし….なんてケチばかりつけていて、およそ傑作を観たという感動はありませんでした。
その後何回か見る度に少しずつ好きになっていった訳ですが、見るために上映の機会を追った中には、オリジナルの音楽を損なっている悪夢のような日本語バージョンも懸命に見ました。
今では「バヤヤ」はチェコの長編としても一番好きな作品で、世の中の全てのアニメーションの中でもベスト5には入る心の宝物です。
それにしても当時からアニメーションに関して僕は無知な若者でした。
なにしろ、その頃の共産圏の国は「鉄のカーテンの向こう側」ですから、自分の認識としては「共産圏の方でも映画を作っているんだ」っていうとんでもないものでした。ましてや、アニメーションを作っていて、そのアニメーションがとてつもなく素晴らしいと言う認識がないまま、「バヤヤ」を見たものですから、とにかくへんなのと言う印象でした。
それから長い時を経て川本さんはじめ岡本忠成さんなどのいろんな人の影響を受けることで、ニブい僕も段々と人形アニメーションの作品というものの魅力を理解するに至ったということになったのでしょう。そうでなくては、なぜ自分でチェコから映画を輸入しようなどと思い込んだのか、説明できません。(→第2回に続く)