責任編集:宮崎駿「もりやすじの世界」
アニドウ発行の「もり画集」の前に、出版された画集に二馬力発行 の「もりやすじの世界」がある。責任編集:宮崎駿ということで、1992年の2月に刊行されたB4判の大きな立派な本だ。保育園などを対象にしたカット集などを除いて、もりさんの画業をまとめたものとしては世界最初の出版物として記録されるべきものだ。宮崎さんの個人事務所二馬力発行 ということは、宮崎さんの決断と負担で出版されたということで、宮崎さん自身のもりやすじさんへの大いなる敬愛を示すものとしても、記憶したい出版物だ。責任編集とはいえ実際を宮崎さんがやるわけではなく、COMやファニーなどのベテラン石井文男氏に編集を頼み、さらに現場のあれこれをライターの松野本 和弘くんをアシスタントに制作されたもの。(松野本くんはこの後「日本漫画映画の全貌/図録」などいくつかのアニドウの出版に協力してもらうことになった。) この本の編集がはじまった時点で先行していたアニドウの「画集」企画は一時ストップし、もり家からお預かりしていた原画(絵本のセル原画、ブンブンブキーのスケッチなど)を全て返却することとなった。この資料に、池田宏監督の資料(どうぶつ宝島のキャラクタースケッチなど)を加え、さらに自伝「もぐらの歌」を掲載することで、この「もりやすじの世界」は綴られている。もりさんの全業績を表すには、なんとしても材料が少ないことがあきらかなことが見てとれる。それはそれまでほとんどの出版社が原稿を返す習慣がなく、もりさん自身も作品に恬淡となさっていたことが原因なのでしょうがない。
それまでのろのろと進めていたアニドウの編集と違って、この宮崎版はあっという間に完成した本の出版記念会が吉祥寺の当時のジブリスタジオの隣のレストランで開催されることになった。ただでさえ少なかった原稿を返却してしまったので、僕はがっかりしつつ複雑な気持ちで参加したけれど、もりさんの喜ぶ笑顔を見て本当にうれしかったし、このもりさんの笑顔のためだけに宮崎さんはこの出版を決意したのだと、解ったのだった。もりさんの全業績など一冊の本などでは表せないことを知っている人からみれば、材料が足らないなどと愚痴を言う必要もないのだ。まことに我ながら小人だなあ、と反省しつつ「アニドウの本はどうするの?」と小田部さんに聞かれた時には、奮然として「一から作りますよ!」と挑戦的な宣言をしてしまって反省のかけらも見せないのは我ながら困ったことだ。 実は、もりさんの体調が思わしくないということは近しい関係者はみな知っていた。僕も半年あまり前に聞かされていた。万一の時が近いかもしれない、ということでアニドウ版の画集も急いで制作するかと考えたけれど、どうがんばってもやっつけ仕事になってしまうので断念することにした。画集は宮崎さんにおまかせしよう!僕はその代わりに関係者がもりさんを讃えるイベントをしよう、と頭を切り替えることにした。そして、出版記念会の翌月に日仏会館を借りて「もりやすじのアニメーション世界を語る」を開催したのだけれど、それはまた別な話。(なみき)