「日本の長編アニメーションはここから始まった」終了
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平成28年度第1回特別展「ねりま発!日本のアニメ」関連トークイベント
「日本の長編アニメーションはここから始まった」
講師: 小田部 羊一(作画監督、キャラクター・デザイナー) 相磯 嘉雄(アニメーター、撮影監督、元アニドウ会長) なみき たかし(アニメーション史家、フィルムコレクター)
日時:5月8日(日)14:00~16:00
会場:練馬区立石神井公園ふるさと文化館/多目的会議室
定員:100名 参加費:無料
【申込方法】事前申し込み制/電話申し込み受付中(TEL:03-3996-4060)※定員になり次第終了
パネラー:
小田部羊一(こたべ よういち)
アニメーター、キャラクター・デザイナー。
1936年台湾台北市生まれ。1959年東京芸術大学美術学部日本画科卒業。同年東映動画(株)へ入社。
アニメーターとして森康二、大工原章、楠部大吉郎の下で研鑽を積む。劇場長編映画「わんぱく王子の大蛇退治」(1963)「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968)「長靴をはいた猫」(1969)「空飛ぶゆうれい船」(1969)「どうぶつ宝島」(1971)などで活躍する。1971年高畑勲、宮崎駿と共にAプロダクションへ移籍し「パンダコパンダ」(1972)、「赤胴鈴之助」(1972)の作画監督をつとめる。後にズイヨー映像、さらに日本アニメーションへ移籍し「アルプスの少女ハイジ」(1974)「母をたずねて三千里」(1976)のキャラクターデザイン・作画監督として活躍する。1979年には古巣、東映動画に招かれ「龍の子太郎」のキャラクターデザイン・作画監督を担当、さらに東京ムービーで「じゃりン子チエ」(1981年)など、常にアニメーション史に残る名作にその名を刻む。
宮崎作品「風の谷のナウシカ」(1984)、高畑作品「火垂るの墓」(1988)では短いながら重要なシーンの原画を担当。1985年からは任天堂開発部に勤務し、「スーパーマリオブラザーズ」でゲーム制作に参加、現在も「ポケットモンスター」シリーズ(長編映画)を監修している。2014年度より三鷹の森ジブリ美術館(徳間記念アニメーション文化財団)評議員。
相磯嘉雄(あいそ よしお)
アニメーター、撮影監督、アニドウ会長(二代目)。
1935年東京都目黒区生まれ。1958年都立世田谷工業高校電気科卒業後、東映動画へ入社。アニメーターとなり森康二、大工原章に師事。「白蛇伝」「少年猿飛佐助」「西遊記」「わんぱく王子の大蛇退治 」「太陽の王子ホルスの大冒険」「空飛ぶゆうれい船 」など歴史的名作で活躍する。1970年、技術課撮影部に移動。「ながぐつ三銃士」「マジンガーZ対暗黒大将軍 」「聖闘士星矢 真紅の少年伝説 」「魔女っ子メグちゃん」「まんがイソップ物語 」「三国志 長江燃ゆ!」「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」などの撮影を担当。その傍らアニメーターの団体アニドウを組織し、会報制作や上映会に尽力し第2代会長として後進を指導し会勢の拡大に寄与した。1995年東映アニメーションを退社(定年)したが、その後も嘱託として劇場作品の撮影を5年間続ける。
2003年に東映アニメーションギャラリーの解説者となり、2010年からは練馬区立ふるさと文化館のサポーターとして協力し、2012年からは同館区民学芸員となる。
また、2012年より一般財団法人日本アニメーション文化財団の理事として、アニメーションの歴史的な資料の保存に尽力している。
なみきたかし
アニメーション史家、フィルムコレクター、アニドウ会長(四代目)。1952年埼玉県浦和市生まれ。1969年に相磯嘉雄率いるアニドウに参加し、相磯嘉雄に教えを受ける。アニメーションの世界へ進路を定める。 1974年からはアニドウ代表となり上映・出版活動を進める傍ら、1972年には東映動画スタジオでの撮影助手のアルバイトを経て、1973年(昭和48年)からオープロダクションに入社し、「アルプスの少女ハイジ」「ゲッターロボ」等のアニメーターとなる。1984年、出版社としてアニドウ・フィルムを設立し、「世界アニメーション映画史」(1986)「もりやすじ画集」(1993)「小松原一男アニメーション画集」(2002)「小田部羊一アニメーション画集」(2008)などを編集・出版し、定評を得る。 2004年、東京都現代美術館企画展「日本漫画映画の全貌」を構成・プロデュース。
2006年には惜しくも急逝した前社長村田耕一の跡を継いでオープロダクションの代表となる。2012年より一般財団法人日本アニメーション文化財団を設立し、アニメーション・ミュージアムの設立運動を進めている。 著書に「写真集アニメーテッド・ピープル」他。